GOBI

甘美な授業

「す、もも……あん……ず………らい、ち……」
 大きな皿に盛られた果物を手に取っては、一つずつ声に出し筆を執る。いつもの語学の勉強だが、今日は隆国ではなく意外な人物がについていた。
「正解、じゃあ……これは」
 の後ろから手が伸び一粒取ると、そのまま下を向き筆を走らせるの口に押し込む。
「んっ……ぶどう、です! 鱗坊さま!」
 葡萄の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。正直この時代の果物は、の記憶の中にある“日本のもの”とはまるで違い、お世辞にも美味しいとは言えなかった。だが裕福層で無い限り口にすることは出来ない果物は、“この時代の日本”に生まれたにとって最高なご馳走であった。

「鱗坊さむぐっ……もういらなむっ……」
 後ろから伸びる手は、親鳥のように休むことなく葡萄を摘みの口へと運ぶ。「遠慮するな」と半ば強引に押し込むものだから、飲み込むのが間に合わずはあっという間に栗鼠のように頬を膨らませた。
「おっと、やり過ぎたか」
 鱗坊は羅漢床に寝そべりながらの様子を伺う。苦しそうにもぐもぐと口を動かし、時折うなり声のようなものをあげる様子に、鱗坊は耐えられず吹き出し笑い出した。
「……ひどい」
 口の中の葡萄は既に飲み込んだはずなのに、の頬はいつまでたっても膨らんだまま。
「いや、すまん、ククッ……」
「鱗坊さま悪いです!」
 後ろで腹を抱え笑い続ける鱗坊に思いっきり手を振り下ろすも、鱗坊に受け止められ逆に捕まってしまう。足掻いてもその手はほどけず、逆にズルズルと引き寄せられ気が付けば鱗坊の胸の上。
はいい女になるぞ」
 鱗坊はほどいた手で黒く絹のような髪をすいて耳にかける。あまりにも自然な動きで、は思考が追い付かず口を鯉のようにパクパクと動かすばかり。
 しかし驚いていたのはだけではなかった。
 (十四そこそこの小娘に何を言っているんだ)
 思わず口に出してしまったのだが、正直ここ最近のの変化には驚いていた。来た当初は身体は小さく細く、十かそこらの子どもかと思っていた。それが三ヶ月程もすればみるみる年相応の体つきに変わっていった。歳のわりに苦労してきたせいなのか、時折見せる憂いを帯びた横顔にはさすがの鱗坊もそそられるものを感じていた。

 するりと落ちる長い髪から手を退くと、そのまま流れるように柔らかな唇を指でなぞる。先程の葡萄の果汁でほんのり潤う唇がとても美味しそうで、気が付けば鱗坊ととの距離は目と鼻の先。舌を出せばその唇を貪れる。

「鱗坊…………さま……っ」
 の怯えた声、拙い言葉で名前を呼ばれ我に返った鱗坊は、誤魔化すように袖での唇を拭う。
「冗談だ、本気にしたのか? からかっただけだ」
 狼狽えるにそう言い放つと、「終わったら起こせ」と再び羅漢床で眠りにつく。しかし少し言い過ぎたかと未だ腹の上に座るの様子を伺うと、お返しだと言わんばかりの正拳突きが鱗坊の腹に入った。痛みで悶える鱗坊をよそに、は弾みを付けて飛び降りると再び筆を持ち木簡の前に座り直す。その小さな背中から怒りの炎が揺らめいているようだった。




「ふがっ!?」
 いつの間に寝ていたのか、鱗坊は感じたことのない息苦しさで目を覚ました。
「昼寝とはいいご身分だな」
「鱗坊さま、すごく悪いです」
 目の前には眉間にシワを寄せ罵る隆国、は手に持った何かを鱗坊の口に押し込んだ。息苦しく思わず吐き出すと、口の中から大量の皮付きライチ。
「悪いしました、お返しです!」
「俺が許可した」
「これは、りんご、です」
「正解だ、許可する」
 隆国が許可を出すと、は大きなりんごを選び手に取り、無理やり鱗坊の口へと押し付ける。
「すっ、すまんかったっ!!!」
「隆国さまだめ、言いました! ゆるすしません!」
「全部話したのか!?」
 はと隆国の顔を見ると、すべて知っているというような形相で見下していた。これはしばらく許しては貰えないと、鱗坊は自らの軽率な行動を恨んだ。

Back to page