GOBI

コスモス

「好きです」
 声を大にして叫べたらどんなに楽だろうか。日を追うごとに自分の中を占める、彼の割合がどんどん大きくなる。
 自意識過剰かもしれないが、最近よく目が合う。その度に、きょとんと驚いた顔をしたり、少しハニカミながら笑い返してくれたり、普段仲の良い彼らとつるんでいる時と、ほんの少しだけ違う表情を見せてくれる。



 風呂上がりに酒保に立ち寄ると、そこにはいつもの顔ぶれが並んでいた。楽しそうな彼らにつられ、はさり気なく岡田の隣に座ると、既に出来上がっていた三島に「よく眠れるから」と酒を進められた。うまく断る言葉が見つからず、一杯だけとお付き合い。
 グラスに波々注がれた日本酒をこぼさないように、ちびちびと舐めるように口にしていると、横から伸びてきた腕が肩にかけていたタオルを奪い取り、ガシガシと少し乱暴に頭を撫でてきた。
 驚き隣を見ると、三島や酔いつぶれ眠っている野間と同じように、酒で顔を赤らめた岡田が、真面目な顔をしながらの濡れた髪を拭いている。
「おか、岡田さん!」
「ちゃんと拭かないと風邪引くだろ」
「すみませんっ、でもっ、わっ、自分で……!」
 そう言って恥ずかしさから強引に岡田の手を払いのけると、手を引いた岡田は日本酒の入ったグラスを手に取り、素直に言うことを聞くを満足気に見つめていた。普段の垂れた目が更にだらしなく垂れていて、これは相当酔っていると苦笑いしながらも、は誤魔化すように髪を拭きながら、熱くなる顔をタオルで覆い隠した。
 


「それじゃあおやすみなさい」
 お開きになる頃には、結局彼らと同じようにもほんのりと頬を染めていた。去り際、岡田に「送ろうか」と声をかけられたが、その横でぐったりと酔い潰れ、二人に抱きかかえられている野間の姿を見てしまったら、気軽にお願いしますなんて言えなかった。
 飲み慣れない日本酒を口にしたせいだろうか。フラフラとおぼつかない足取りで自室を目指す。やっとの事で自室に戻り、一直線にベッドへと向かい思い切り倒れ込んだ。
「……――――っ!!!」
 酔っていたと言え、触られた。髪だけど触れてもらえた。言葉にならない嬉しい悲鳴を枕にぶつける。乾いた髪を一房掴んでみると、どこかほんのりと彼の香りがした。




***




 そんなとは対象的に、岡田の足取りは朝から重たかった。昨日の出来事がすっぽり抜け落ち、全く記憶にないのだ。三島が言うには、どうやら酔っ払っての髪を触っていたらしい。酒保の椅子に腰掛け項垂れる岡田の隣に、のそりと大きな影が覆う。
「最悪だ……」
「俺もだ……」
 岡田とは別の意味で顔を青くさせた野間が、ズキズキと痛む頭を抑えながら、頭を抱える岡田の隣に腰を下ろした。はたから見れば、二日酔いのなんとも間抜けな二人に見えるだろう。
「付き合ってもいない……若い女性の髪を強引に……」
「なにも覚えてない」
「どんな顔して会えばいいんだ……」
「もうこりごりだ……」
 二人揃って大きなため息を吐き出す。空は青いのに、俺の心は曇り空どころか大雨だ。なんて事を考えていると、遠くで噂の彼女が炊事場から顔を出した。あっ、と顔を上げいつもの調子で右手を上げると、気がついたは一瞬驚き慌てて炊事場の中へと戻る。上がった右手はそのまま頭へ添えられた。
「……終わった」




「好きだ」
 言葉に出来たらどんなに良かっただろうか。嫌われるならきちんと伝えてから嫌われたかった。目が合う度に、少し驚いたり、柔らかく微笑んでくれたり、他の男とはほんの少しだけ違う表情を見せてくれていた。そんな勘違いも今日までか。
 大きく肩を落とす岡田の前に、誰かが立ち止まり様子を伺っていた。それに気がついたのは野間だった。
「岡田さん、お客さん」
 野間の声にふと顔をあげると、ヤカンを片手に少し恥ずかしそうに笑うの姿。
「ど、うして……」
「昨日ベロベロに酔っていたし具合悪そうだったので……お水を」
 差し出されたヤカンを受け取ると、込み上げる嬉しさを隠すかのように注ぎ口に直接口をつけ、ごくごくと喉を鳴らしながら冷たい水を飲む。からグラスを手渡され、分けてもらうために岡田に差し出した野間も唖然とするくらい、物凄い勢いで。
「助かった!凄く具合が悪くて、でももう治った!」
 先程までの落ち込み様が嘘のように、やる!とヤカンを野間に手渡す。しかし中身は既に空で、この時一番水を欲していた野間の口には一滴も入らなかった。



 夜が更け暗闇に紛れるコスモスも、夜が明け朝日が差すと愛らしい色を見せる。まるであの時の自分たちみたい、とは偶に思い出しては笑う。
「岡田さん凄い顔してましたよね」
はずっと顔がふやけてたな」



 あの日確かに恋が終わった。


 そして愛が始まる。


18/06/16

Back to page